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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)762号 判決 1960年10月26日

被告 城南信用金庫

事実

原告河元雅夫は請求原因として、原告は訴外川村エイに対し同人振出にかかる金額三十五万円の約束手形一通の所持人として手形金債権を有しているが、右手形は不渡となつた。ところで川村エイは右手形の不渡による取引停止処分を免れるための異議申立提供金として金三十五万円を被告城南信用金庫に預けたところ、被告はこれを東京手形交換所に提供した。従つて川村エイは、被告金庫に対し右金三十五万円の返還請求権を有している。

その後原告は、前記の手形金債権につき東京地方裁判所に訴を提起し、川村エイが右手形金債権を認める旨の和解調書の執行力ある正本を得て、強制執行として、川村エイが被告金庫に対して有する前項記載の債権につき東京地方裁判所より債権の差押及び転付命令を受け右命令は昭和三十四年十一月十六日被告に送達された。しかるに、被告は右債権の支払をしないので本訴において右債権の支払を請求する、と主張し、さらに被告の相殺の抗弁に対しては、本件債権はその性質上、被告の川村エイに対する一般債権を以ては相殺することはできない。何となれば、異議申立提供金に供する目的で手形債務者が受入銀行に預けた金員は、当該手形の支払拒絶理由がなくなつた場合は手形金債務の支払に充当する性質のものである。すなわち、川村エイが被告に金三十五万円を預けたのは、原告主張の約束手形の支払拒絶理由が消滅した場合は、右金員を以て手形金債務を支払うべき旨の意思表示にほかならないものであると主張した。

被告城南信用金庫は抗弁として、被告は昭和二十九年一月二十五日主債務者川村武人に対し金八十万円を弁済期昭和三十年一月二十四日、利息日歩三銭、遅延損害金日歩五銭、主債務者が債務の履行を怠つたときは期限の利益を失い、被告は残元金並びに利息及び遅延損害金債権を以て主債務者及び保証人の被告に対する預金その他一切の債権を通知、催告を要せず何時でも自由に相殺し得る定めで貸し渡し、川村エイは同日被告との間に右債務を主債務者と連帯して保証する旨の契約をなしたものである。しかるに、川村武人は、昭和二十九年四月二十七日以降右債務の履行を怠り、昭和三十四年十一月二十四日現在で被告に対し残元金三十八万五千二百五十七円とこれに対する利息及び遅延損害金合計三十七万四千六百五十八円の債務を負担していた。従つて、川村エイは、被告に対し右と同額の保証債務を負担していたことになり、そこで被告は、前記相殺契約に基いて、昭和三十四年十一月二十四日川村エイに対する右債権を以て原告が転付を受けた川村エイの被告に対する金三十五万円の返還請求権を相殺し、その旨を川村エイに対し昭和三十四年十二月十二日到達の書面及び昭和三十五年三月十七日到達の書面を以て通知したものであるから、原告の被告に対する請求は失当である、と主張して争つた。

理由

証拠によれば、原告が訴外川村エイに対しその主張のような約束手形金債権を有し、右手形が不渡となつたことを認めることができる。そうして、川村エイは右不渡による取引停止処分を免れるための異議申立提供金に供するため金三十五万円を被告に預け、被告はこれを右の目的で東京手形交換所に提供したことは当事者間に争いがない。被告は、川村エイは被告に対し右金三十五万円の返還請求権を有しないと主張するけれども、手形債務者が手形の不渡による取引停止処分を免れるため、当該手形の受入銀行をして異議申立提供金を手形交換所に提出させる目的で受入銀行に手形金額相当の金員を預けた場合、特段の意思表示のない限り、何時でも受入銀行に対し右金員の返還を請求し得るものと解せられるところ、本件において特段の意思表示があつたことについては主張立証がないから、川村エイの被告に対する右金三十五万円の返還請求権は、履行期の定めのない債権であるということができる。ところで、原告が川村エイに対する前記約束手形金債権につき東京地方裁判所に訴を起し、同裁判所民事第六部において川村エイが右手形金債務を認める旨の和解が成立し、右和解調書に執行文が付与されたことは当裁判所に顕著な事実である。さらに原告が、川村エイの被告に対する金三十五万円の債権につき差押及び転付命令を得、右命令が昭和三十四年十一月十六日被告に送達されたことは当事者間に争いがないから、右転付命令により原告は被告に対し金三十五万円の債権を有するに至つたものといえる。

一方、他の証拠によれば、被告は、昭和二十九年一月二十五日主債務者川村武人に対し金八十万円を被告主張のような相殺契約を含む条件で貸与し、川村エイが右債務を連帯保証し、川村武人は、昭和二十九年四月二十七日以降右債務の履行を怠り、昭和三十四年十一月二十四日現在で被告に対し残元金三十八万五千二百五十七円及びこれに対する約定利息金三万一千五百五十三円、約定遅延損害金三十三万九千九百八十九円、合計金七十五万六千七百九十九円の債務を負担し、川村エイは、連帯保証人として被告に同額の債務を負つていたところ、被告は、前記相殺契約に基いて被告の川村エイに対する右債権を以て原告が転付を受けた川村エイの被告に対する金三十五万円の債権を相殺し、昭和三十四年十二月十二日到達の書面を以て川村エイにその旨通知した事実を認めることができる。

原告は、再抗弁として、(一)本件債権はその性質上被告の川村エイに対する一般債権を以てしては相殺することはできないと主張し、その理由として、手形債務者が異議申立提供金に供する目的で受入銀行に預けた金員は、手形の支払拒絶理由がなくなつた場合は手形金債務の支払に充当すべき性質のもので、川村エイが金三十五万円を被告に預けたのは、原告主張の約束手形の支払拒絶理由が消滅した場合は、右金員を以て手形債務を支払う旨の意思表示である、と主張するが、異議申立提供金に供する目的で手形債務者が受入銀行に預けた金員が手形金債務の担保たる性質を有するものとは解し難く、本件において、川村エイが被告に金三十五万円を預けたことが原告主張の約束手形金債務を右金員を以て支払うべき旨の意思表示であるとの事実については何らの証拠もない。次いで原告は、(二)被告は相殺権を放棄した旨主張し、その理由は、被告は民事訴訟法第六百九条に基いて本件債権を認諾し、支払意思があること並びに他の債権者から請求ないし差押のない旨を裁判所に陳述したが、右陳述は相殺権の放棄である、という。被告が原告主張のような陳述をなしたことは当事者間に争いがないけれども被告の主張する相殺は、前段認定の相殺契約に基くものであるから、その契約当事者に対して相殺権を放棄する旨の意思が表示されたのなら格別、裁判所に対して原告主張の陳述がなされたからといつて被告の右契約上の相殺権が放棄されるいわれはない。さらに原告は、(三)被告の相殺権の行使は信義則に反し、権利の濫用であつて無効であると主張し、その理由として、原告は、被告の前項の陳述を信用し、長期間訴訟行為を行い、しかも本件債権の差押及び転付命令を得た後被告は本件債権の支払を原告に約しながら前言を翻して相殺権を行使した、と述べるけれども、原、被告間に右の約束があつたことについては何らの立証がない。また、原告が、被告の陳述を信じたことによつて損害を蒙つたというのであればそれについては他に救済の途を求めるべきものであつて、右事実があつたからといつて被告が川村エイに対する契約上の権利を行使することの妨げとなるものではない。

以上の認定からすれば、本件債権の差押及び転付命令の被告に送達された昭和三十四年十一月十六日には被告の主張する自働債権金七十五万六千七百九十九円から同年同月十七日から同月二十四日までの遅延損害金千五百四十一円を差引いた金七十五万千二百五十八円(残元金三十八万五千二百五十七円、約定利息金三万一千五百五十三円、遅延損害金三十三万八千四百四十八円)の債権が本件債権と対立し何れも弁済期にあつた。しかして被告は、相殺契約に基いて何時でも相殺をなし得たのであるから、右日時において右債権を以て本件債権を相殺し得る地位にあつた。ところで、被告は、右遅延損害金千五百四十一円を加えた金七十五万六千七百九十九円を自働債権として相殺したのであるが、右遅延損害金は本件債権転付後に生じたもので、自働債権とはなり得ないのであるから、被告のなした相殺により被告の川村エイに対する債権は、昭和三十四年十一月十六日までの遅延損害金次いで約定利息の順に金三十五万円の限度で消滅したこととなる。

してみると、本件債権は、被告の相殺により消滅したものというべきであるから、被告の相殺の抗弁は理由がある。よつて原告の被告に対する請求は失当である。

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